Soliloquy of Maynyannyan

A blog for musings ranging from more serious stuff (politics, cultural critique) to more fun stuff (short fantasy novels). Primarily in English and Japanese.

死にたい改め楽に最高に幸せになりたい

私も死は救済って心の底から信じてた時はありました。今でも「しにたい」って言葉が頭をよぎることはあるんですけど、それをしっかり噛み砕いてあげると、「辛い」とか「辛さに終わって欲しい」とか「寂しい」とか「もう疲れた」とかなんですよね。

だから、本当の救済はお金とかお昼寝とか夢が叶うことなんだろうなって思うようになりました。少なくともharm principle的に自分が死んでしまうのは他人を傷つけることなので避けるとして、今直面してる問題に対する解決方法としても理論的最適解ではないと思えるようになりました。努力しないで、全てを手に入れて、幸せになる事が理論的最適解ですよね。

1年半くらい前までの私は、幸せになるための努力をするなんて今こんだけ疲れ切ってるわたしには無理!と思っていました。そのせいで「死こそ救済」と思っていました。しかし、ゆっくりと自分の気持ちと向き合った結果、理論的に私が欲すべきなのは、「楽に手に入る心の底からの幸せ」なんだ、という考えに変わりました。

今でも「しにたい」って思わない訳じゃないです。もはや癖になってる強迫観念的希死念慮はそんな簡単には居なくなりませんね。とはいえ、去年くらいのニート時代に実は数ヶ月くらい全く希死念慮が出てこない時期がありました。希死念慮さんとは高3の3学期からの付き合いだったので全く出てこなくなって少しびっくりしました。もちろん嬉しかったですよ、毎日最高に幸せでしたから。でも、ストレスや疲労のある生活に戻ると、希死念慮さんもすんなり戻ってきましたね。

でも、もう「しにたい」と思っている自分が怖くないです。どんなに「しにたい」って言葉で頭がいっぱいになってても、本当に欲してるのは死でないことが分かってるから。そして、くだらないプライドを守ることや、他者からの評価を下げないことよりも、自分が死なない方がマシだろうって思うようになったんです。生きてたらいつか何とか出来るかもしれないけど、死んだら何も変えられなくなるから。特に、失敗した時の恥や、人をがっかりさせることみたいなのを少しは受け止められるようになってからは、少し楽に生きれるようにはなったかもしれないです。

こういうことを全て踏まえて、タイトルにもある「しにたい改め(出来ればなるべく)楽に最高に幸せになりたい」なんです。そして、楽に幸せになれる道をなるべく選ぶようにしてます。何度も自分に言い聞かせてますけど、苦労しなくても幸せになれる道が沢山あるんですから。