Soliloquy of Maynyannyan

A blog for musings ranging from more serious stuff (politics, cultural critique) to more fun stuff (short fantasy novels). Primarily in English and Japanese.

人間は平等になれるのか

なれる。理由は私は「人間は平等になれる」と思った原体験をしてきたからである。それを説明したら、この説明を読んだ人も「人間は平等になれる」と感じて貰えるかもしれないと思ってこの文章を書くことにした。3つのエピソードを書いてみたが、最後にこれらのエピソードには共通点があり、それこそが人間が平等になれる条件なのではないかと思うという内容の文章だ。完全に私の経験や感性に基づいた論考であるため、違う人が同じ経験をしても、同じ結論には至らないかもしれない。なので、ガチガチの論考というよりは、私の奇妙な体験談として気軽に読んで貰えたら嬉しい。

 

ジェンダー共有トイレや、精神閉鎖病棟での話を書いていることだけ事前に記しておく。

 

では、本題の原体験3つの内容と、その共通点についての論考に入る。


<原体験その1: 男女問わず誰でも利用していいトイレとシャワー>

私はアメリカの大学に2015年から2019年の間、在学していた。

そしてその間、私は大学の寮に住んでいた。

私の居た寮には表題の通り、「男女問わず誰でも利用していいトイレとシャワー」があった。

具体的には、個室トイレ3つとシャワーブース3つがあるバスルームを昼夜問わず、男女問わず利用していいという取り決めを、そのフロアに住む全員で投票して決めて、その通り使っていたということだ。

家族ではない人と使うトイレやお風呂が男女別なのが当たり前な生活をしてきた私にとって、最初は少し驚いた。

性別的な見た目や自認がどうであれ、同じバスルームを使うということは、上裸で腰にタオルを巻いた男の子のフロアメイトや、濡れた髪をタオルで巻いて、バスローブ姿で歯磨きをしている女の子のフロアメイトとバスルームですれ違ったり、廊下をその姿で歩いている時に、軽く挨拶をしたり、調子はどう?あの課題はどう?ご飯この後食べに行く?など他愛もない会話を交わす。

最初、私は服を着たままシャワーの個室に入り、個室内で脱いで、シャワーを浴びて、個室内で新しい服に着替えて自分の部屋に戻っていた。しかし、段々と面倒になり、バスローブだけを着て自室からバスルームに行き帰りするようになった。

慣れるまでに、というか面倒くささが勝つまで3日も経たなかったと記憶している。

これが原体験その1の概要だ。慣習なんて、一瞬で変えられるのだ。というか、自分の意志とは関係なく、変えることが出来てしまった。その容易さにも驚いた。これが、全ての人間が平等に扱われる、そして扱い合うことの出来る社会なんて実現できるのか懐疑的であった私が、「人間は平等になれる」と思った原体験の1つだ。


<原体験その2: 病状別の精神科の閉鎖病棟

私はアメリカの大学在学中に精神疾患を患い、大学のある町から車で一時間程の病院の精神病棟に入院したことがある。そこでは、病気の種類や、介護や監視の必要度に基づいて共有スペースが分けられていた。寝る部屋には自分ともう1人のベッド、シャワーとトイレがあり、共有スペースにはソファー、椅子、テーブル、カードゲーム、ボードゲーム、テレビ、本、塗り絵などがあった。

その病院では4つの共有スペースがあり、先程述べた基準で、どの共有スペースに併設するベッドを充てがわれるかが決められていた。

私は自分で着替えや食事、排泄、シャワー、歩き回ることが出来る、双極性障害自閉症自傷行為がやや危惧されるその他精神障害の患者がいる病棟に案内された。

そこに居たのは様々な年代や性別の患者で、日中のグループセラピーの色々な時間や、自由時間をその患者達と過ごした。また、その病棟では就寝時以外はなるべく共有スペースに居ることが医療スタッフから促されたので、そこに居る患者の全員と私は話しをしたり、ゲームをしたり、映画をみたりした。

自分より20も30も歳上の患者も居れば、自分とほぼ変わらないか、少し歳下の患者もいた。

皆でお互いの事情や回復や外での生活について話し合い、あまり自分の事を多く語らない人とは楽しくゲームをして遊んだ。

日本の閉鎖病棟での経験はないので、良い比較ではないかもしれないが、日本で年上の男性と話す時に、年齢の差や、性別の違いを意識することは多々にある。女性でも感じる。というか、申し遅れたが、私はノンバイナリーなので、割と誰と話していても完全な「同性」は居ないし、完全な「異性」も居ないので、大分恒常的に自分の異質性を意識させられる。

また、たまたま私以外は地元住民ばかりの病棟だったので、外国人という異質性もあった。

しかし、なんとフラットにお互いの事を想って話すことが出来たことか!相手がフラットに接してくれれば、私もフラットに接することができたのだ!

確かに病状別の閉鎖病棟という特殊な環境では、全員が近い症状を治すために居るわけで、外の世界で担う様々な社会的地位の束縛から逃れることが出来る。

ただ、初めてそうした環境で、全く異なるバックグラウンドやアイデンティティをもつ人達と共に時間を過ごしてみてまた、人間は平等になれる!と感じた。


<原体験その3: 社会人英語ディベート勉強会>

アメリカの大学時代からは数年遡り、私は中学三年生の時に、東京で社会人英語ディベート勉強会なるものに何度か参加した。それは、私のディベートの師匠でもある方に、私の中高のディベート部で教えて貰っていた期間中、その人が講師を努める社会人英語ディベート勉強会に招待してもらって参加していた。大学教授や、高校教諭。学生時代にディベートをしていて、社会人になってからも続けている人。専業主婦。大学生。年齢も性別も社会的地位や立場が異なる人が集い、共に英語でディベートをした。

中学三年生の私は最年少で、ディベート経験も浅かったが、共に私の師匠のレクチャーやアドバイスを聴いて、ディベートを愛し、好んでこの競技に参加する「ディベーター」兼生徒として、その場では皆が同じ立場だった。その時はまだ「人間は平等になれるか」なんて疑問を抱いていなかったため、そこまで鮮明に「人間は平等になれる!」と感じた訳では無いが、今思うと、なかなか貴重な体験だった。


この3つのエピソードや、他の私の「人間は平等になれる」と感じたエピソードにも共通しているのは、多様な立場やアイデンティティを持つ人達が、新たな立場(フロアメイト、似た病状の患者、生徒)を共有し、その立場がその場で最も重要性や有用性の高い立場として確立されていた、ということだ。


故に私は、そうした環境さえ作る事が出来れば、人間は平等になれると思うようになった。


ただのビックリ珍エピソード集だったかもしれないが、少しでも私が思う「平等」の実現可能性についての思いが伝わっていたら幸いだ。

 


注釈的なサムシング↓

(1)「平等な扱い」

平等の扱いというのは、任意の人間Aと任意の人間Bを任意の人間Cが同じくらいの敬意や思いやりをもって接する事だと私は思う。

故に私は「人間は平等か?」「人間は平等だ!」などのスローガンは少々言葉足らずだと思う。正しくは「全ての人間は平等に扱われるべきか?」「全ての人間は平等に扱われるべきだ!」なのだと思う。

そして、人間は平等か?と聞かれたら、私はこう答える。「平等に扱われるべきだが、現状では叶っていない事の方が多い」と。